保護司制度の歴史

 日本の保護司制度は第二次世界大戦後の更生保護制度の創設とともに始まったものですが、明治時代の民間篤志家の取組に源を発する長い歴史があります。

明治21年(1888年)

静岡県において、実業家の金原明善や監獄の副典獄(後に典獄。現在の刑務所長)を務めた川村矯一郎らが刑務所出所者を保護する「静岡県出獄人保護会社」(※)を設立した際に、県下に約1,700人の「保護委員」を配置したのが保護司の先駆けとされています。

※同社は、身寄りのない刑務所出所者に当座の住居や食事を提供する施設を運営する団体で、こうした施設は現在の更生保護施設の始まりとされています。

金原明善

川村矯一郎

大正2年(1913年)

同様に、「福井県福田会」が県下に約130人の「地方委員」を配置しました。
こうした動きが全国に広がり、次第に「司法保護委員」という名称に統一されていきます。

大正12年(1923年)

(旧)少年法の施行。
少年審判所に専任の官吏である「少年保護司」が配置されるとともに、民間の篤志家である「嘱託少年保護司」に事務を嘱託する制度が設けられました。
この嘱託少年保護司も保護司の源流の一つとされています。

東京少年審判所

昭和12年(1937年)

刑務所出所者等を保護する民間団体の全国組織として「全日本司法保護事業連盟」が結成されました。
同連盟は、翌年、司法保護委員を全国に広めることを宣言します。

昭和14年(1939年)

司法保護事業法の制定・施行。
司法保護委員が、司法大臣の命を受けて刑務所出所者等の保護に当たる者として法定化されました。

川崎市における司法保護委員の辞令交付式

終戦

昭和24年(1949年)

戦後の更生保護制度がスタート。
犯罪者処遇は有給・常勤の国の専門職員が担うべきとの連合国軍総司令部(GHQ)の意見があったものの、折衝の末、基本法である犯罪者予防更生法において司法保護委員の制度が存置されることになります。

昭和25年(1950年)

保護司法の制定・施行。
「司法保護委員」が「保護司」に改称されました。
当初は少年を専門に担当する「少年保護司」と成人を担当する「成人保護司」に分けられ、主に嘱託少年保護司が前者に、司法保護委員が後者に就任しました。
同年7月、全国保護司連盟が結成されました。

昭和27年(1952年)

更生保護の機構改革により、少年と成人に分かれていた官署組織が統一されたのに併せ、少年保護司と成人保護司の区別も廃止され、「保護司」として統一されました。

第1回更生保護大会
(昭和27年)

平成10年(1998年)

保護司制度の充実強化を図るために保護司法の改正が行われました(翌年4月施行)。
改正の要点は、①保護司会の計画に基づく保護司の職務の明確化、②保護司会及び保護司会連合会の法定化、③保護司及び保護司組織に対する地方公共団体の協力規定の明記の3点です。

平成19年(2007年)

新たな基本法である更生保護法の制定(犯罪者予防更生法の廃止、翌年6月全面施行)。同法のもと、官側(保護観察所等)の体制が見直されるとともに、官民協働態勢の規定が整備されることになりました。
また、更生保護における犯罪被害者等施策が創設され、各保護観察所に被害者担当保護司が置かれることになりました。
このころから、各地域での更生保護活動の拠点として、順次「更生保護サポートセンター」が設置されていくことになります。

平成23年(2011年)

保護司制度を充実させるための基盤整備の在り方について検討するため、法務省に「保護司制度の基盤整備に関する検討会」が設置され、翌年3月に報告書がまとめられました。

法務省:保護司制度の基盤整備に関する検討会

平成28年(2016年)

再犯の防止等の推進に関する法律(再犯防止推進法)の制定(※1)。再犯防止の基本理念のほか、国の責務とともに地方公共団体の責務が明記されました。同法に基づき、翌年、国の再犯防止推進計画(※2)が定められ、地方公共団体でも順次再犯防止推進計画が策定されていきます。

※1 法務省:再犯の防止等の推進に関する法律(再犯防止推進法) ※2 法務省:再犯防止推進計画

令和5年(2023年)

第2次再犯防止推進計画に基づき、法務省に「持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会」が設置され、翌年10月、法務大臣に対し報告書が提出されました。

法務省:持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会

令和6年(2024年)

オランダ(ハーグ)で開催された第2回世界保護司会議において、4月17日を「国際更生保護ボラティアの日」とする宣言が承認されました。

法務省:海外における更生保護の取組

保護司記章の変遷

①昭和25年

①昭和44年

①昭和63年

昭和63年の保護司記章は、吉田左源二東京芸術大学名誉教授(当時)のデザインによるもので、18枚の菊の花弁にひまわりと旭日が重ね合わされ、輪郭の輪には人の和が、紅地には人の心・熱情が表されています。(「更生保護50年史」から)