
日本更生保護協会のあゆみ
本会会章は、昭和62年4月に制定されました。
当時の東京芸術大学清家清名誉教授・平山郁夫教授監修、吉田左源二教授のデザインによるもので、更生保護5団体を表象する瑞雲と、愛情深くヒナを育む国鳥のキジを意匠化したものです。
会館正面に装着した直径150cmの会章(左写真)は、(株)現代壁画研究所・温井工業(株)等、多くの方々の格別なご協力を得て、滋賀県信楽で制作されたものです。
我が国の更生保護は、明治21年、金原明善、川村矯一朗らによって設立された「静岡県出獄人会社」に始まると言われています。 同保護会社は、刑務所出所者の保護を行って、その再犯を防ぐことを目的として、宿泊保護施設(今日の更生保護施設の源流)を設けるとともに、県下に1,700人を超える保護委員(今日の保護司の源流)を配置し、刑務所出所者の保護に当たりました。その後、同様の団体が増加し、大正初期には100を超える団体がありましたが、これらの団体を統括する中心となる組織がありませんでした。
大正3年、三井八郎次郎男爵が免囚保護事業改善等のために私財75万円を寄付され、全国の民間団体の中心組織として「財団法人輔成会」が設立されました。
これが日本更生保護協会の前身です。
会長には司法次官鈴木喜三郎が就任し、全国の免囚保護事業の指導、連絡に当たりました。
昭和14年、財団法人輔成会は、財団法人日本少年保護協会及び財団法人昭徳会と合同して、「財団法人司法保護協会」となり、事務所を東京市麹町三番町に構えました。
第二次世界大戦の戦火によって事務所が焼失したため、昭和20年、現在の渋谷区千駄ヶ谷に事務所を移転しました。
戦後、昭和24年、犯罪予防更生法が施行され、翌25年には、保護司法及び更生緊急保護法が、さらに昭和29年には執行猶予者保護観察法が施行され、新しい更生保護制度が整備されました。
昭和26年、財団法人司法保護協会は、「財団法人日本更生保護協会」に名称変更しました。
平成8年、更生保護事業法の施行に伴い、法人名は「更生保護法人」に変更され、今日に至っています。