保護司法の第1条には、保護司の使命が次のように掲げられています。
「保護司は、社会奉仕の精神をもつて、犯罪をした者の改善及び更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もつて地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与することを、その使命とする」。
この使命を果たすため、保護司は、具体的には次のような諸活動に従事しています。
犯罪や非行をした人たちと定期的に面接を行い、更生を図るための約束事(遵守事項)を守るよう指導するとともに、生活上の助言や就労の手助け等を行います。
少年院や刑務所に収容されている人が、釈放後にスムーズに社会復帰できるよう、釈放後の帰住予定地の調査、引受人との話合い等を行い、必要な受け入れ態勢を整えます。
犯罪や非行を未然に防ぐとともに、罪を犯した人の更生について理解を深めるために、世論の啓発や地域社会の浄化に努めるものです。毎年7月は、"社会を明るくする運動"強調月間として、講演会、シンポジウム、ワークショップ、スポーツ大会等様々な活動が展開されています。
保護観察という刑事政策の一翼を民間の篤志家である保護司が無給で担うという、世界にも余り例を見ない保護司制度は、どのようにして始まったのでしょうか。
我が国の保護司制度の源流がどこにあるかについては、いろいろな見方がありますが、現在の制度の直接的な前身として考えられるのは、司法保護委員と嘱託少年保護司です。
明治21年に静岡県で金原明善が設立した静岡県出獄人保護会社を嚆矢に民間の慈善事業として始まった刑余者の保護事業は、その後も民間篤志家や宗教家による慈善事業として発展し、昭和初期にかけて、全国各地に司法保護委員が置かれるようになりました。このように、民間から始まった司法保護委員は、昭和12年には全日本司法保護事業連盟の結成へとつながり、昭和14年に司法保護事業法が制定されることにより、初めて司法保護委員の法的制度化がなされました。
一方、旧少年法が大正12年に施行され、少年審判所に現在の保護観察官に相当する専任の少年保護司が置かれるとともに、民間の篤志家に少年保護司の事務を嘱託する嘱託少年保護司の制度が設けられました。この嘱託少年保護司は保護司の前身であると言えます。
昭和25年には、保護司法が制定・施行され、従来の司法保護委員は「保護司」と改称され、現行の制度となりました。
このように、民間の慈善事業に始まった更生保護制度ですが、その精神は現在に至るまで連綿と受け継がれています。(参考文献:「更生保護50年史-地域社会と共に歩む更生保護-」)
保護司は、保護司法の規定に基づき、都道府県の区域を分けて定められた保護区のいずれかに所属して、保護区ごとに保護司会を組織するものとされています。これらの保護司会は、都道府県ごと(北海道では保護観察所の管轄区域ごと)に保護司会連合会を組織しています。
また、地方更生保護委員会の管轄区域ごとに地方保護司連盟が、全国組織として全国保護司連盟がそれぞれ組織されており、いずれも保護司の諸活動の充実・強化を図る上で重要な役割を担っています。
地方更生保護委員会は、札幌、仙台、さいたま、名古屋、大阪、広島、高松、福岡の8か所に置かれ、それぞれ、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の各ブロック内にある刑務所や少年院からの仮釈放・仮退院、保護観察所の事務の監督などの業務を行っています。
地方保護司連盟は、地方更生保護委員会に対応して、各ブロック内の保護司会連合会で組織されている任意の団体で、保護司に対する研修・顕彰、連絡・調整、ブロック内の関係機関・団体との連携などの事業を行っています。
保護観察所は、都道府県庁所在地(北海道の場合は、札幌、函館、旭川、釧路の4か所)に置かれ、保護観察や、刑務所・少年院に入所中の人たちの帰住先を調整・確保する環境調整、犯罪予防のための世論の啓発などの業務を行っています。
保護司会連合会は、この保護観察所に対応して組織されています。
保護区は、一つ若しくは複数の区市町村を単位にしています。
保護司になるためには、保護司法に基づき、次の条件を備えていることが必要となります。
保護司の委嘱手続は、各都道府県にある保護観察所の長が、候補者を保護司選考会に諮問して、その意見を聴いた後、法務大臣に推薦し、その者のうちから法務大臣が委嘱するという手続によって行われています。保護司の任期は2年ですが、再任は妨げられません。
より詳細な手続については、最寄りの保護観察所までお問い合せください。